台北ローカルをエンジョイ?した話②


前回のお話はこちら

仕事とアフター5

語学も中途半端(というか中途にも達していない)状態で現地人の多い電気屋さんで働いても正直戦力になっているとはいいがたく、電気屋さんの息子さんや娘さんの話し相手(当時台湾では日本の芸能界が非常に流行っていたようで、宇多田ヒカル、ミスチルなど、人気アーティストや芸能人の話を色々聞かれた記憶がある。)
そして、戦時中日本の領土だったこともあり、当時70歳くらいの年配の方々は結構日本語を話す方も多く、昔の日本の話などを色々聞いたものだ。
働いているお店の横にあった仏壇屋の主人も日本語がペラペラで日本語で色々会話をした。
ちなみに、当時23歳で、徴兵制のある台湾では兵役に行くぐらいの年齢だったこともあり「日本には徴兵制はないのか?」や「軍隊はどうなっている?」みたいな話をよく聞かれた記憶がある。

そんなに戦力になっていない状態なので、仕事に関しても9時~17時で特に残業もなく切り上げることになったが、今考えると単純にもったいない話だと思うのだが、全くと言ってよいほど観光や現地で色々行ってみようという気にはなっていなかった・・・
(だからこそ2014年にもう一度行ってみようと思ったともいえるが)
日本の芸能界のことをたくさん知りたい電気屋さんのお子さんに「夜市に行こう」とか「カラオケに行こう」などと誘われることは多かったが、帰り道に今を時めく「タピオカミルクティー」を買って部屋でタッキーと松嶋菜々子の「魔女の条件」をテレビで見るのが唯一?の楽しみだった・・・。
やはり旅行慣れしていなかったということもあり、言葉が通じないところでは不安が好奇心に勝ってしまっていたのだろうか・・・。


当時働いていた電気屋さん


当時の社員証(髪が長い笑)

食あたり

そんな半引きこもり状態だったが、それでも公式な宴会には出席していた。
ある時、その宴会に参加してどうやらその宴会の料理の生ガキにあたってしまったようで、一晩中苦しんだが、言葉もできなかったので病院に行くこともできず仕方なく会社の通訳がいる医務室で薬をもらって一日寝込んでいた。
普通に旅行していたらかなり辛かっただろうが、この時ばかりは会社から行って良かったと思った。
ちなみに、後にも先にも海外で体調を崩したのはこの時だけだ・・・。

15年後のリベンジ?

海外に慣れていなかったことに加え、言葉ができなかったというのもあり、当時は大変な思いが多かったのだが、ふと思い立って2014年に再度台湾を訪れることにした。
15年ぶりの台湾は当時からは想像もできないほど発展していて驚いた。
まず、電車が著しく発展していた。
昔は、空港から市内にしても、市内で龍山寺に行くにしても電車はなくてタクシーかバスだったが、2014年には、空港からも電車で市内へ行けて、市内の中心部から龍山寺へも地下鉄でアクセスすることができた。
台北から離れた高雄などへのアクセスも当時は飛行機しかなかったのだが、現在では台湾新幹線ができて電車でもアクセスできるようになったようだ。
という事でほぼ無理矢理台湾新幹線を使ってみることにした。

台湾新幹線で台中へ

サムネイルにもなっているこの巨大な金の大仏を見たかったので台湾新幹線で台中に向かうことにした。

台北駅から台中までは1時間程度だった。
駅の感じや、車両の外観や中身は日本の新幹線に驚くほど似ていたので調べてみると、川崎重工が製造した、新幹線の「700系のぞみ」をベースにしたもののようだった。

占い

台湾を紹介するテレビ番組で良く日本語を話す占い師が出ているのを見ることはないだろうか?
先ほど述べたように日本領だった関係もあり、日本語を話せる人というのもあるだろう。
という事で私も占いに行くことにした。
こんな感じで日本のメディアに数多く取り上げられているようだ。

そして、占いの結果はこんな感じ。
言ってもない尿酸値が高いことが当たっているのはすごい!”
今年2021年は金運が良いらしい!

 


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