台北ローカルをエンジョイ?した話①


台湾には1999年と2014年の2度訪れたことがある。
少し古い話も交えながらこの台湾という国が15年でどの程度発展したかについても知っていただけるきっかけになればと思う。

台湾駐在

以前の記事にも書いたが、初めて台湾に行ったのは1999年夏の話だった。
海外研修プログラムの一環として就職していきなり台北で勤務することになった。
今では、台北というと、

日本のアニメやアイドルなど様々なジャンルで人気が高く親日の方が多い台湾。日本から近く、オススメ観光スポットも多いのが魅力的。また、治安も良く食事も美味しくて何より安い台湾!初海外旅行にも、もってこいな台湾のオススメ観光スポットを台湾旅行経験者がご紹介します!(なお情報は記事掲載時点のものです。詳細は公式サイトなどでも事前確認することをおすすめします。)

旅行ガイドで紹介されていたり、千と千尋の神隠しの舞台になった九份という街がインスタ映えしたりと人気の旅行先になっているようだが、1999年当時は、怪しげなヘビ料理のイメージが強い街で、オサレのカケラもないような街だった。
実際、当初は私の他、男性1名、女性1名の3名が台湾で研修する予定だったようだが、結局女性の同期はシンガポールに変更になってしまった・・・。

海外研修

研修の内容は、今でこそあまり見なくなったが、街の電気屋さんに夏頃になるとやけに若い店員さんがいて、エアコンの取り付け等に同行してきた記憶がある方もいらっしゃるのではいらっしゃるのではないだろうか。
実はその店員さんは、某電機メーカーの新入社員で夏場の数カ月「販売の現場を知る」目的で街の電気屋さんで実際に店員として働くことになっていた。(今あるかは不明)
私が入社した年に「グローバル化」の一環としてその研修を海外でも実施しようという内容だった。
今でこそ人口減少をきっかけに「グローバル化」という事が声高に叫ばれる時代になったが、当時この手の研修は非常に珍しかったと思う。
同じ年の大学&大学院卒が約800人いてそのうちの29人が海外で研修を受けることになった。
内訳は、アメリカ2人(東西1人ずつ)、マレーシア(クアラルンプール)4人、マレーシア(ペナン)2人、シンガポール17人、台湾2人、中国2人という感じで大半がシンガポール、言語的には英語がマジョリティだった。
私もてっきりシンガポールだと信じ切っていたが、フタを開けると台湾赴任になっていた。関係ない話だが、その後仕事や旅行でいろんな国に行ったことがあるが、いまだにシンガポールとは縁がなく今日に至っている。
以前の記事にも書いたが、大学の第二外国語の中国語の成績が良かった(と言ってもXXXXXしたけど)ので、中国語ができるものだと勘違いされたようだ。

事前準備

この海外研修もいきなり行く訳ではなく、事前に研修が用意されていた。
研修内容は、駐在先の国の文化やその国における会社の立ち位置などを座学で学んだり、語学研修だったりというものだった。
私は台湾赴任だったので、中国の2人に混ざって中国語の研修を受けたのだが、中国の2人は留学経験があってかなり中国ができていた。
台湾組は残念ながら、という事で語学の先生が授業の初日にいきなり中国語で挨拶しだした時は全く理解できず何とも不安な気分になった・・・。
そして、先生も「こんな語学レベルで行こうとしてるの」みたいな感じで不安になっているようだった。

龍山寺

こうして万全とは程遠い状態で赴任することになったが、今と違いスマホなどはなかったが、6万円の海外渡航手当のようなものが出たので電子辞書を購入し、いつでも筆談できるようにメモ帳とペンを常備することにした。
赴任先の電気屋さんは、台北の観光名所龍山寺近くの電気屋さんだった。
龍山寺といえば、テレビで台湾を紹介する際にはほぼ必ずと言ってよいほど紹介される道教のお寺で、2014年に訪問した際に撮った動画だが、こんな感じのお寺だ。

ケムリがモクモクと立ち込めているのが分かると思うが、入り口のところで7本組の長い線香が売っていてそれを境内7か所にある香炉に一本ずつくべていくと
願いが叶うというもので、多くの現地人が祈りをささげていた。
台湾語で、「拝拝(パイパイ)」というようだ。
そして、ちょうど帰宅がてら近くにあるここに寄って、現地人の真似事をしていたものである。

時間によっては、こんな感じで大合唱が見れたりするとにかく観光名所である。

 

 


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