スペインに行った話②


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白い街ミハスへ

トレモリーノスから向かったのは、白い街で有名なミハス。
ホテルで教えてもらったバスに乗ること約1時間で白い街ミハスに到着する。
ミハスに向かうバスの道中で横に座ったおばあちゃんが、「どこから来たの?」と
聞いてきたので、「日本」と答えると、当時マヨルカでプレーしていたサッカーの
久保選手のことを色々話していた。
こんな遠くでも日本人が活躍しているというのを知り誇らしい気分になった。
さて、ミハスでは、あいにくの曇りだったので、写真に映すと家の白さが十分に
表現できないが、肉眼で見る白い街はとても幻想的だった。

白い街ミハス
白い街ミハス

 

ミハス②
ミハス②

 

ミハス③
ミハス③

 

ミハス④
ミハス④

幻想的な街並みのミハスであったが、とても小さな村だったので、長くとも2~3時間で全て見終わってしまうぐらいだった。

グラナダへ

次の日は、南スペインのメインイベントとでもいうべき、グラナダでのアルハンブラ宮殿見学ツアーに参加することになっている。
朝早くに集合場所に行くと、アメリカ、フランス、イタリアといった欧米人がほとんどで、アジア人で参加しているのは韓国人の男性と
私の2人だけだった。
ご存知ない方のために、アルハンブラ宮殿についてWikipediaの説明を掲載しておくことにする。

宮殿と呼ばれているが城塞の性質も備えており、その中に住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園といった様々な施設を備えていた。現代に残る大部分は、イベリア半島最後のイスラム王朝・ナスル朝の時代の建築とされ、初代ムハンマド1世が建築に着手し、その後のムスリム政権下で増築された。スルタン(王)の居所であるとともに、数千人が居住する城塞都市でもあった。
夏場非常に暑いと言われるグラナダの中でもとても涼しい場所に位置し、ウマの背のような形をした緑多い丘に立地する。14世紀の学者アフマド・アル・ウマリーの地理書によると、スルタンは月曜と木曜にアルハンブラのある丘の上で、人民に対し、コーランの10章とムハンマドの言行録の一部を朗読したとされる。
建築の材料には、レンガ、木材、練土などのもろいものが多く、彫刻を施した石材などは最低限しか使用されていない。アルハンブラ宮殿の中心は、いくつかの建造物に囲まれた中庭(パティオ)におかれ、他のイスラーム建築の例に倣っている。
建物は白を基調としているが、アルハンブラとはアラビア語で「赤い城塞」を意味するアル=カルア・アル=ハムラー (القلعة الحمراء, al-qal‘ah al-ḥamrā’) と呼ばれていたものが、スペイン語において転訛したものである[1]。この名称の由来については、城塞周辺の土地の土壌が赤いため、あるいは建築に使われた煉瓦の色であるとか、宮殿が赤い漆喰で覆われていたからなど諸説ある。

という感じで、ヨーロッパにありながらも、イスラム建築の宮殿なのである。
ここを訪れるには、事前の予約が不可欠なようで、私も日本からインターネットでツアーを予約していった。
期待して行っただけに宮殿はとても荘厳だった。

アルハンブラ宮殿
アルハンブラ宮殿

 

宮殿の一番有名な場所
宮殿の一番有名な場所

 


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